台湾初心者の戯言

台湾の大学を卒業した日本人が、日本社会の荒波に揉まれていくさま

長く深い霧のなかで

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1教科だけの期中考が終わった。

実際はもう1教科あるけど自分がちゃんと勉強すれば点数を取れる教科なので、あんまりストレスはない。

今学期は必修3つのうち2つが期末しかやらない授業なので、中間にかかるプレッシャーは幾分か少ない。

とは言えその分期末の一発勝負になるので、それもそれで決して気分は良くないけどしょうがない。

そもそも本来期中考は学校の規定だと来週やるはずなんだけども、教授が来週から2週間アメリカに行くから、それ故に先週やったんだと。

次の2週分の授業どうするんだろう、また教授の旦那さんがきて授業やるのかな。

すごいよね、教授の旦那さんが学校来て授業やるって。

一応他大学で同じ領域研究している教授らしいし、大学から博士までずっとうちの大学にいたらしいけど、とは言え今は他の大学の教授やってる人が、臨時で授業をやるってのは台湾のそう言うところに関する寛容さが、悪く言えばフリーダムさ全開なところが如実に表れてると思う。

 

これを書いているのは、月曜日の朝3時。

ほんとは寝なきゃいけないんだけど、何故だが今日は眠たい気分がなかなかこない。

ストレスというよりかは、連休前のような焦慮感がないせいだろうか。

気温の上昇とともに、この間までのメンタル辛め期間はなんだったんだろうかってぐらいに落ち着いた。

なので最近思ってることを、ここに書きなぐって満足してから寝ることにした。

 

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先週のテストの次の日は、木曜日だったので行政法の授業だった。

木曜日の朝、目が覚める前の明け方ぐらいに眠りが浅かったのか夢を見た。

行政法の授業を受けている夢で、いきなり教授に中国語で「〇〇、日本の民法第767条と第787条は何か答えろ」って言われて、当然そんなの覚えてるわけないので(というか日本の民法は習ったことない)「すみませんわかりません」みたいなことを答えたら、教授に「唉,真的不好玩呢」(教授の口癖)と言われながら大きなため息をつかれた。

その後教授が、若干台湾人の訛りがあるがそれは流暢な日本語で、民法第767条と第787条を何も見ずにすらすら読み出して、恐れ入ったところで目が醒めた。

 

まるで変な夢なんだが、出てくる内容に全て根拠がある。

台湾の民法第767條と民法第787條は、自分らの専攻なら絶対に頭に入っている条文の一つだ。

前者は物上請求權、後者は袋地通行權。何条だかわからないが、どちらも日本の民法にも規定がある。

ちなみに日本の民法の767と787は、離婚後の復氏と認知に関する訴え。

教授が日本語を話し出したところは、教授は神戸大法学博士だからであろう。

実際彼が日本語を話しているところは聞いたことないけど。

 

もうぼくが台湾で法律を勉強してから早3年になる。

法学部じゃないから法律はメインじゃないけど、それなりに大きいウエイトを占める。

正直1年生の時の民法はほんとによくわからなかった。

たまたまその時の教授も、神戸大で修士を取得していたので日本語がお上手だった。

んで何よりめちゃくちゃ優しくて、授業後に忙しいのにわざわざ中国語と日本語混ぜながら色々補足してくれた。

その教授はたった1年で定年退職してしまったけど。

 

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3年法律を勉強してたから、六法も3冊目である。

法律というのは常に変わり続けるから、当然毎年最新版を買い続けなきゃならない。

左の六法は1年半前からずっと使ってて、だんだんぼろぼろになってきたところだからちょうどいい。

多分今年で買うのは最後になるであろう、3冊目の六法はちゃんと付箋つけてマークを入れることにした。

今までは大体どこに何があるか覚えてたからつけてなかったんだけど、問題はこの薄っぺらい紙のめくりづらさ。

すぐ見たい時にイライラするので、よく見る条文には全部マーキングつけておいた。

なんで1年の時からやらなかったんだろうって既にめちゃくちゃ後悔している。

 

古い六法から1年半分のメモ書きを全部書き写してる時に、ぼくはなんで台湾でこんな勉強をしているんだろう。というかきっと4年5年前にこんなことやるなんて、考えてもみなかったんだろうな…。って思った。

ほんと一瞬だけど、虚無感が横切った気がした。

でも法律に関しては、やっぱり社会科学を勉強する上での思考ロジックの育成につながるんじゃないかなって思う。

法律をやるようになってから、自分の中での思考ロジックが前よりもある程度洗練された、というかいい意味でプロセスにブレやムラが生じなくなったような気がする。

なんでもプラス思考、じゃなきゃ台湾でやってられん。

 

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台湾生活のうち、最初の2年間は食欲がめちゃくちゃ減ってめちゃくちゃ痩せた。

台湾きて最初の1ヶ月半で10kgは体重落ちたと思う。

ところが最近になって、たまにおいしい弁当とか食べるのが幸せになってきている。

いいことなんだろうし、元々おいしいもの食べるのは好きなんだけど、まだ若いのであんまり太りすぎないようにしたいと思いながら、ついつい鹽酥雞(揚げ物)買ってきて、日本からわざわざ持ってきてるマヨネーズをかけてしまう。

いくらカロリーハーフとは言えど、0ではないので体重増加に拍車がかかる。

いい加減日本帰ったら阿波踊りのお囃子復帰しようかなあとも考えるけど、まだ日本にいる期間が少なくて面倒なので、結局毎回いいやってなってしまう。

ぼくがまた太鼓を叩く日は来るんだろうか。

 

長く深い霧のなかで。

台湾生活3年目にして、ようやくインターネットで台湾にいる日本人をウォッチングするようになったと以前も言ったと思う。

たまに見ては、「へー」「ふーん」って思ってるんだけど、急に自分が台湾きたばかりのことを思い出して一つ気づいたことがある。

台湾生活当初から、意識は低くマイペースに淡々とやるってのは自分のやり方だったし、それは今も昔もあんまり変わってないはずなんだけど、けど最初の2年ぐらいってなんやかんやで「日本に帰ったら台湾に4年間留学したんだ」って自分の中で胸張れるように頑張ろう。みたいなことを考えてた。

まだ目にも今より輝きがあったような気がする。

けど台湾生活をやっていくうちに、別に留学したんだってことに何もないことに気づいた。

以前の記事でおんなじようなことを書いたような、書いてないような。あんまり覚えてないけど。

でも「留学」なんて、その言葉自体に何か特別なことはないんだよな。

所詮「自分の国で勉強するか」or「自分の国以外で勉強するか」

だけの違いであり、確かに言語上の壁であったり文化の違いはある。

ぶっちゃけどっちも毎日しんどい。

けども結局その程度の違いでしかない。

少なくとも言語は、若いうちなら学ぶ環境さえあればなんとかなる。

なんなら中高の英語能力以下の中国語しかしゃべれないような人でも、多分台湾にはそれなりの数いて、んで多分なんとか生活してる。

大学にもいると思う、でも蹴っ飛ばされず残ってるってことは多分なんとかやってるんだろう。

それがいいのか悪いのかって話はまた別の話で、少なくとも大学側には切られてない。

本人もきっと相当努力してるんだろうけど。

 

とにかく別になんてこともないことに、自分が価値を見出そうとするのにプライドが許さないというかそんな感じがしだしたんだと思う。

今の自分に、正直台湾生活とか大学生活という観点で見れば目の輝きは失われたと思う。

今自分がやりたいことは、早くこの国を脱出して社会に出てお金を稼ぎたい。

んできっとまた社会に揉まれて目の輝きを失いかけるんだろうけど、それをどうにかしてこそが社会人だと思ってるから、どうやって生き抜いてこうかと。

だから、早くこの国からは脱出したい。

 

自分が台湾に来た理由も、以前の記事でたくさん書いたと思うからここでは省略する。

別に今自分が台湾に対して特別好きとか嫌いとか、そういう感情は一切ない。

たまたま現状生活している場所が台湾というだけで、やっぱりベースは根幹は東京にあるということにも、何一つ変わりはない。

でも今正直に自分の言葉で言うなら、台湾での4年間かそれ以上かわからないこの記憶は、人生の中であまり大きなものにしたくない。

どちらかと言うと、薄めてしまいたいなって思う。なぜそういう感情が来るかはわからないけれど。

 

長いトンネルの出口が見えた時、初めて台湾生活を心の底から振り返ることができるのかもしれないけど、それは多分人生の最後の方で来るんだと思う。

大学卒業とか、社会人になる時もそら振り返るとは思うんだけど。

本質的なところは、多分もっともっと先にならないと見えてこないと思う。

 

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さっきシャワー浴びてたら、今の家引っ越す時に買ってきたボディーソープがなくなった。

気づけば新店という場所に引っ越してそろそろ1年が経とうとしている。

10年ちょっと前、初めて台湾に来た時に捷運の行き先で「新店」という地名を初めて知った。

まだ当時は綠線が松山まで繋がってなくて、新店と北投/淡水を繋いでたと記憶してる。

まさかあの当時、自分が「新店」という場所に住むことになるとは思わなかった。

人生ってこういう偶然の繰り返しなんだなっていつも思うけど、いつもそれに驚きや楽しさ、うれしさや幸せを感じ続けられる人生でありたいと思うし、そのためにも努力を怠らないようにしようと思う。

 

首肩が痛くて、ついでにそのせいで目やら頭やらいろんなところが痛いので、全身タイガーバーム塗ったくって寝る。

さいころ以来、全然使ってなかったけど今は日本じゃ売らなくなっちゃったんだね。

赤い方の瓶を開けた瞬間、千住の家を思い出した。

 

脈略のないことを永遠長々と書いてしまった。

とにかく日々研鑽。

決して真面目な人間ではないけど、早く台湾を脱出できるためにも。

早く人生幸せになるためにも、日々努力を怠らないようにまた頑張ろうと思う。

いつかまた金沢に行って、今度は高級な旅館に泊まってもっと美味しいものたくさん食べたいし、美味しいお酒たくさん飲みたいし。

 

きみみたいにきれいな女の子

きみみたいにきれいな女の子

 

 

Hsiao-Jen.