台湾初心者の戯言

台湾の大学を卒業した日本人が、日本社会の荒波に揉まれていくさま

ジャパニーズ・カルチャー

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また1週間が始まろうとしている。

いま日本はGWで、そろそろ平成が終わるとかそういう実感は一切ない。

別にいつも通りの日常である。

学業面も相変わらずダメダメ、行政法に魘される日々が続く。

先週の授業でやっぱり当てられて、それに対して相当アホな答えをしてしまい、もうその日の残り2時間半の時間はずっとずっと沈んでいた。

1+1は?って質問に対して、テンパって10って答えたようなものである。

なんかもう悔しいとか辛いとかそういう感情の全てを通り越したって感じ。

他の台湾人の学生は、わからない問題は黙ってやり過ごしてたし自分もそうすべきだったんだろうかと、今少し思った。

けどプライドだけは一丁前に高いから、自分の勉強不足を責めたほうが気持ち的には納得がいく。

 

プライベートはうって変わって割と充実していた。

日本で働いている台湾人の知り合いが、出張でしばらく台湾に戻ってきてたからご飯に連れてってもらったり、あるいは思いつきでぷらっと中和の華新街(ミャンマー街)に行ってみたりと。

自分なりに自分のペースを最低限保てているうちは、向上心は途切れないと信じているから、プライベートにもしっかり気を配っていきたい。台湾生活の中では特に。

 

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損

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毎年この時期になると、東京高円寺の阿波踊りが台湾の北部と南部に遠征?にやってくる。

いつからやり始めたのかは知らないけど、大学1年生の時にも見に行ったことがある。

実はあまり、というかほとんど知られていないのだが、ぼくは中学時代から5年ぐらい阿波踊りのお囃子で大太鼓を叩いていた。

小学校の頃も、何故だか和太鼓を叩いていたので通算かれこれ10年近く太鼓を叩いている。決して人様に誇れるほど叩けるわけではないんだけど。

 

大学1年生の頃に見に行ったと言ったが、その年の夏のシーズンを最後に2年ほど阿波踊りから離れてしまっている。

確かその年の高円寺を最後に、もうまるっきり太鼓を叩いていない。

理由はいろいろあるけど、大きいところで言えばやっぱりモチベーションだと思う。

今は日本にいる時間が少ないのに、さらに太鼓のために時間を割こうとなかなか思わなかったのが大きい。

ずっと阿波踊りをやっておいてなんなんだが、実は滅多なことがないとプライベートで阿波踊りを見にいかない。

正確には自分の実家の近くで毎年阿波踊りをやっているので、小さい頃からずっと阿波踊りというものには馴染みがあったんだけど、わざわざ遠くに行って見にいくとかってことはないし、真面目に見る時って自分が衣装きてる時に、他の連の演奏や踊りを見にいくぐらいである。

 

もっと言ってしまうと、日本にいた頃から割と練習時は苦痛のが大きかったかもしれない。

苦痛っていうよりかは、ずっと低いテンションというか。

んで毎年夏シーズンの1発目が、大体新宿の神楽坂ってところの祭りなんだけども、そこで本番前に衣装を身にまとっても全然スイッチが入ってこない。

ところがいざ本番の場所でスタンバイして、1発叩き出すとどこからかめちゃくちゃアドレナリンが湧いてきて、テンションが一気に頂点まで上がる。

毎年夏はそういう過ごし方をしていた。

結局台湾に来てから、上に書いたように太鼓のために時間を割くってのが大きくなってきて、ある時から全然練習にも顔を出さなくなってしまい今に至るって感じである。

一応連の人たちとは連絡取り合ってるから、いつでも戻ろうと思えば戻れるのかもしれないが、結局自分のモチベーションがついてこないうちは叩く資格ないと思ってるし、けど一方でふと叩きたくなる時がくるので、結構そこは葛藤することがある。

去年こっちで阿波踊りを見なかったのは、多分複雑な気持ちになることを避けるためだったんだろうと思う。

同じように今年も正直見にいくつもりは全然なかったんだけど、たまたま知り合いが誘ってくれたのでいい機会だから行こうと思って行ったのが、つい先日の話である。

 

行く前から、行ったらどういう気持ちになるかは大体わかっていた。

行って見に行ってから、やっぱり複雑な気持ちになった。

さっきも言ったが別にぼくは熱狂的阿波踊りファンっでは全然ないんだけど、人々が踊り手に熱い視線を送るなか、一人お囃子の人たちをずーっと見てしまってた。

高円寺の連の人たちだから演奏の素晴らしさは言うまでもないんだけども、自分もまたいつかもう一回ぐらい太鼓を担ぎたいという気持ちなんだろうか、すごくどろっとした黒いものが、体の中から沸々と湧き出てくるような感じがした。

多分今年中にすぐ復帰できるってことはないけど、日本に帰ったらまた太鼓を叩こうと思った。

 

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この阿波踊りの話もそうなんだけど、台湾に来たことによって得るもの得たものはきっとたくさんあるんだろうけど、失うものも無視できないぐらい多いのが事実である。

当然それは諦めてこっちに来てるから未練とかはないんだけど、少なくとも学生の身分で台湾にいる現状、台湾に来たことによって得るもの得たものって正直あんまり目に見えてこないので、何回も言っているがいち早く学業を一旦修めて日本に帰りたいという気持ちである。

もう正直こればっかりはしょうがないし、変えようのない気持ちなんだと思う。

一応順調なら台湾生活はあと1年と少しだし、終わりが見えてきた今だからこそやはり帰りたいという気持ちの強さをコントロールするのはとても大変だなと思う。

全てを投げ出して日本に帰りたいとか、或いは実家に帰りたいみたいなホームシック的なものではなくて、あくまでもっと抽象的なぼんやりとしたものなんだけども。

 

だから今はもう耐え忍ぶしかないんだと、そういう気持ちで仏のような顔をしながら毎日を過ごしている。

あと1年どう頑張っても、とりあえず今回の4年間はキラキラ留学生活にはできなかった。

けどそれはそれでもうしょうがないから諦めた。

キラキラ留学生活をやりたくなったら、また台湾か別の国に行けばいいやって感じ。

 
ミャンマー

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台北中和に華新街という場所があるのだが、そこは通称ミャンマー街と呼ばれていて、その通りのお店はミャンマー系のお店が多い。

どういう経緯でミャンマー街が形成されたのかはわからないが、ミャンマーは結構華僑が多い国らしく、実際自分の大学にもミャンマーの子達は一定数いる。

Twitterでその存在を知ったのだが、家からバスでそう遠くない場所にあるから先週ふらっと行って見たんだけど、ご飯がめちゃくちゃ美味しい。

何よりかなりリーズナブルで、通年金欠生活をやっているぼくにとってはとてもありがたい。

ランチなのに2軒はしごしたのだが、あまりにおいしかったので後日別の店も周ってみたりした。

久々に台湾でこういう東南アジアテイストの料理が食べれたのは、自分的には結構大きい。

食べるものはやっぱり大切だと改めて痛感した次第。

 

行政法とあと2回戦ったら日本に一時帰国できる。

早く日本のおいしいご飯とお酒をつまみながら、彼女と他愛もない話をして笑い飛ばしたい。

昔みたいな近くにいない辛さとか全然ないけど、やっぱりたまにでも会っておいてしょうもない話をしながら美味しいお酒とご飯をつつく時間は、大げさかもしれないけど自分の人生の中で必要な時間なんだと思う。それがたとえ、或いは万が一どんな関係であれど。

 

今宵こそ

今宵こそ

 

 

Hsiao-Jen.