台湾初心者の戯言

台湾の大学を卒業した日本人が、日本社会の荒波に揉まれていくさま

疎遠

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人生6割はうまくいかないと思って覚悟を決めてはいるものの、実際うまくいかないことが重なると、どうもストレスになってしまう。

めずらしく胃の調子が悪く、ろくに食事を摂れなくなりかけたが、ストレスが原因なのかはわからない。

多分違うと思うし、認めると昔と変わらないので認めない。

 

気づけばこの国もあと一ヶ月ほどで離れる。

4年間の生活は嫌というほど長く、時にウンザリするほど濃い4年間だった。

一刻も早く帰りたいと思うのは、結局4年間の中で一度も変わらなかった。

心の底からこの場所が嫌なわけではないが、やはり自分の生まれ故郷である東京をしばらく離れると、たまにの2-3日東京に帰りたくなるものなんだろう。

 

しかしこの4年間の学生生活において、様々な人たちに助けられてきたことは言うまでもない。

同学科のクラスメートや、中国語の面倒を見てくれた先輩たちには頭が上がらない。

中には公務員を目指す人、外交官になった人、人を守る仕事に就いた人など、皆ぼくよりよっぽど優秀な人たちばかりだったが、ぼくの面倒を見てくれて本当に恵まれたなと思う。

 

けれど台湾から日本に戻り、おそらく彼らとまた会うことはほぼないだろうと思うと、幾ばくか悲しい気持ちにもなる。

 

ただぼくの人間関係の作り方は、基本的に下手くそで、仕事等は除いてなるだけ自我を強く出し過ぎないように心がけてはいるが、人間関係においては多分相当自己中心的に回してるんだと思う。

中学時代仲良かった友達と、高校が変わり疎遠になり、大学時代に再会し仲良くなったと思えば、最近また疎遠になりつつある。

もちろん地理的な環境や、相互の事情で人間関係はいくらでも変わる。

けどぼくは、かなりの頻度で自分の気分を優先させて、自分から人間関係を疎遠にさせがちになってしまう。

 

現に台湾で知り合った人たちでも、自分から疎遠になりそのままの人は少なくない。

ご都合主義というつもりはないが、結果としてはそうなってしまっている。

それに振り回される周りは、少なからず迷惑だと思うだろうし、それ故に戻らなくなる人間関係だって決して少なくなかった。

 

でもきっと台湾での人間関係も、日本で揉まれる日々を過ごしてゆくにつれ、一生戻ることはないのだろうなと思うし、それはそれで仕方がないのだろう。

一期一会って言葉は、こういう場面で使う言葉ではないが、そういうことなんだろう。

 

せめて中国語を忘れないために、近況を腹を割って話せるような関係の友人がいれば良いのだろうが、ぼく自身の性格上難しいだろうと半ば諦めている。

 

青空のように

青空のように

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Hsiao-Jen.