台湾初心者の戯言

台湾の大学を卒業した日本人が、日本社会の荒波に揉まれていくさま

近況

生きている。たまにみている。
日本社会に揉まれている。

会社に癌が進行している感じがしている。
一緒に働いてきた人たちがみんな船を降りていく。
まるでタイタニック号のよう、多分ちょっとした何かにぶつかればこの会社は沈没する。

日本では誰もが知っていて、きっと日本に住んでれば誰もが1回は関わるであろう所謂大企業に勤めて3年目になるが、所詮人の集まりだから脆さという脆さがすごい。

ベンチャーインターンで自分にはやり切れないと思って大企業に来たし、多分自分のような人間には正解なんだろうけど刺激がイマイチ足りない。

大企業のいいところでもあり悪いところでもあるけど、ベンチャーなら多分会社ごと吹っ飛んでるような選択のミスを普通にやる。
責任を取るのは実務者であり、本来取るべきあろう人間はお咎めなし。

大企業で生き残るに必要なのは政治力と声のデカさ。

自分は若いペーペーの一般社員だからぶら下がってるだけでいいけど、
正直物足りなさで日々惰性になってる。

今の業務内容の不満って物足りなさだけ。
ただ自分がどんどん死んでいくような気がしてソワソワする。

ここ見返すと正解か不正解かは別として、自分が自分なりにがむしゃらに向こうで生きていた記録が見返せて、あの頃に戻りたいとは思わないけど充実してたんだなって思う。

少しだけ台湾に行きたいと思う。
3日ぐらいでいい。

あの頃の色々な思い出に浸りたい、自分で自分に武勇伝を語って酔いしれたい。

Smooth Criminal

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Hsiao-Jen.

優しい人間でありたい

1年以上何も書いてなかった。
社会人になって充実していたのか、ただ忙しさで余裕がなかったのか。
結論を言えば前者3割、後者7割ぐらい。

台湾にいた頃の記憶はもうほとんど遠い昔の思い出になってしまい、すっかり使わなくなった中国語は日を追うごとに忘れていく日々である。
しかし仕事という行為で金を得ることができるいうのは、思えばなかなか精神的に良いなという感じでもある。

社会人も2年目になったが、その過程で色々あったことを書く元気は正直ない。
ただ久しぶりにここに垃圾を置いていこうと思うことがあったので書く。

最近人生で1番大きい買い物をした。
軽く数百万はする買い物だった。

その過程で不動産屋のお世話にもなった。
大学時代は不動産行政の勉強をしていたが、そちらの業界に行かなくてよかったなと思う。

社会人になったぼくの仕事は、謂わば人と人の間に立つことが多い仕事だった。
その人と人が極めて親しい第三者だったり、あるいは同じ人であることも往々にしてあったが、とにかく人と人の間に立つ仕事であった。

いち会社員としても、あるいはいち人間としても、その間は何事もなくスムーズにボールをパスできればみんな幸せだし何より自分も幸せだが、どうにもそういかないことが多い仕事だった。

その間に立つ楽しさも辛さもやりがいも色々感じたが、今回お世話になった不動産屋はまた人と人の間に立つような関係であった。
むしろぼくの仕事よりより複雑な状態で。

ぼくは一顧客として120%満足していると言えるし、頭が上がらない。
ただその先とのやりとりを持ってもらう中で、どうしてもその先とのコミュニケーションが円滑にいかず、間を取り持ってもらう人には色々無理強いをさせてしまったなと思う。

先にもいったが自分はその大変さが多少なりともわかる故、全てが円満に終わった今、猛烈に反省をしている。

そろそろ疲れてきたのでこのぐらいにしておくが、優しい人間でありたい。
そう強く感じた。

以上

SHOW

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Hsiao-Jen.

社会の荒波に揉まれていく感じ

気付けば随分とサボってしまった。
社会人は楽しくやってる。
ずっとなりたかった社会人にようやっとなれて、日々充実してる感じがある。
なのでそこまで書きたいことが生まれてこない。

ここの存在自体を忘れているわけではないので、またパッと現れてはパッと消えると思う。

以上近況報告でした。

 

Hsiao-J.

 
追記:前回と同じ曲チョイスしてたわ。

ぼくが輝きを失う瞬間

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師走、自分が好きな寒さがやってきてる。
日々凍えながらも気持ちよさを感じる。

近況だがおかげさまで日々忙しく過ごさせてもらってる。
まだ社会人になったわけではないが、すでに台湾の頃の記憶がより薄らとしたものになり、意識はしてないが記憶から消えていこうとしている。
当時の自分がそこまで意識していたのかは知らないが、一応記録に残せる物は持って帰ってきた。

大学のパーカー、学生証、ビザ、大学時代の成績とかそこらへん。

特に成績とかは自分が努力して得たものだから、ただの評価でも多少そこから記憶を呼び起こすことができる。

あの頃は必死だったなと思い出した。日々の細かいことはもう思い出すことができない。
ずっと小さい頃の記憶は思い出すことができても、大学時代の日々は抽象的にしか思い出すことができない。
でも勉強嫌いだったぼくが多分人生で一番努力していたし、今思えば輝いていたし充実もしていた。
帰国後も教授の研究の手伝いで、日本の論文の翻訳を手伝わせて頂いた。
わざわざ教授の新書まで送ってもらった。

そう思えばやっぱり大学時代はそれなりに努力をしていたし、きっと周りからも評価されていたのかもしれない。

しかし日本に帰りいつもの平穏が戻ってきて安心する自分がいる一方、幾許か物足りなさを感じる時がある。
それがつまり、ぼくが輝きを失い始めていることを暗示しているのかもしれない。
 



Hsiao-Jen.

武者修行

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日本に帰国して3ヶ月少々が経つ。
うんざりするような日本の暑さ(と言っても台湾生活で慣れたので思ったほどのしんどさはなかったが)も終わり、秋らしい涼しい空気。
元々秋生まれなのもあり、秋が一番好きだった季節なんだが、どうも今年は例年より寒さを感じる。久々に長期で日本に滞在してるせいか、身体が追いついてないのかもしれない。
あるいは昨今の状況で外出を控えてて、血行が悪くなったのか。

来年4月から社会人だが、その前にいろいろ経験を積もうとバイトをしている。
新しいことをはじめて、日々慣れないことだらけ。
期待して頂いてる分、プレッシャーも重くのしかかる。

今までも様々なバイトをしてきたけども、最近重く感じることは「お客様あっての仕事」ということ。
こんなことは、常識中の常識だし頭の中では理解していた。
自分の今までの浅い人生やバイトの経験でも身を以て感じていたはずのことなのに、またこの重さを強く感じる。

何か対価を得るためには、それを評価してくれる相手(=お客様)が常にいる。
物々交換の時から、その本質は何も変わってない。

それをまた強く感じる日々、ある種の修行なのかもしれない。
 

青空のように

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Hsiao-Jen.

シャバの空気

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またしばらくこちらを放置してしまった。
6月末に日本に帰ってきてから、忙しいわけではないがバタバタしてしまい、なかなかこちらに来る時間と余裕を作ることができなかった。

無事、台湾の大学を卒業し日本に帰ってくることができた。
「國立政治大學 社會科學學院 地政學系土地管理組」の学士学位を得ることができた。
台湾初心者の戯言という名前で3年近くこのブログをやってきたが、4年も台湾住んだしそろそろ台湾初心者も卒業できるかな。

今後の進路も無事に決まった。
とりあえず辛かった学生生活とは、いったん一区切りができる見通しがたった。
とはいえ来年4月までは正真正銘無職ニートなので、何か稼ぎ先を探さないといけないけれども。

このブログの処遇をどうしようか少し悩んだが、気が向いたらぽつぽつ色々吐く吐き溜め的な存在にしたいと思う。

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ペラ紙と言ったら怒られるが、この冊子を得るために台湾で4年間必死にもがいてきたんだなと思うと、普通はしんみりした気持ちになるんだと思う。
ただいかんせん帰ってきて1ヶ月ちょっとが経ってしまったので、もうずいぶん遠い昔の話のようにも思う。

ここでは自分が勉強していることについて色々書いていたので、ぼくがどこで何を勉強しているか特定するのは容易だったと思うが(そんなことする人が存在するのも知っている)、なぜか自分は台湾で地政學系、英語でいえばDepartment of Land Economicsというパッとしない学問を勉強していた。
過去にも話したが、自分の周りはみんな台湾の未来を担う高級官僚になったり、あるいは日本でいうところのディベロッパー界隈に行く人、仲のいい友達は台湾でもかなり有名な大手銀行に就職した。

Land Economicsという学科名ではあるが、学んだことは不動産行政とか法律とかそこら辺が多かった。
市場分析みたいな金融系のこと、土地経済など経済系の学問、不動産管理や鑑定など専門的かつ実践的なことを学んだけれども、自分の中で最も得たものは、多分台湾の不動産というものを社会科学という領域から見つめ、その観点からより深く台湾という国に踏み込めたことなんじゃないかと思う。

しかしそれ故に?かどうかはわからないが、ディベロッパーとはぼくは縁がなかったし、そうでないにしても自分が何を学んできたのかっていうのを、短い時間で端的に言語化できないことがここ最近多々あったから、まだまだ自分の勉強は足りないのだなと強く感じる。

日本に帰ってきてしばらく経つが、台湾在学中良くしていただいた学科の徐世榮教授から、日本語の論文を翻訳する作業を手伝ってくれと言われて、時間と気が向いた時に手をつけている。
あまりに進度が遅すぎて、そろそろ怒られるのではないかと心配しているが。

今後台湾に戻る機会があるかはわからないし、何よりこの状況なので当分向こうに渡ることはかなわないと思ってる。
事務的な手続きでやり残していることがあるので、行ける時にはまた行くと思うけど。

もしぼくが何か台湾と関わりを持ち続けるとしたら、先にあげた論文の手伝いを通して、台湾の「區段徵收」(Excess Condemnation)に対する興味を絶やさないことだろう。

自分は研究者という道を選ばなかったし、在学中も決して優等生というわけではなかったので、専門的なことを全て把握しているわけではないのだけど、區段徵收という台湾の汚点(とぼくは思ってる)を如何に変えていけるかを見守りたいし、ほんとだったらそれを解決できる力を自分自身が持てればな…。みたいな。


ブログの名前は面倒なのでこのままにする。
幸いこのブログに台湾情報や留学界隈の話を聞きに来る人もいないので(万が一いたら、コメントかTwitter探してリプライくれ)

以上近況報告でした。
台湾在住中、こちらでも様々な人たちに支えられてきました。
本当にありがとうございました。
今後ともお付き合い頂ければと思います。

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Hsiao-Jen.

醒めやらぬ夢の中で

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今朝方JALから連絡がメールが来てて、折り返し電話を入れるようにと来ていた。
なんだろうと思って折り返すと、今月末の飛行機が変更になった旨の確認の電話だった。
かなり前にメールで変更になったことは知っていたが、わざわざ電話連絡を入れてくれるJALの丁寧なところが、ぼくがJALが好きで使い続ける理由の一つだ。

気づけば台湾を離れるまで14日。
色々あって卒業が伸びそうだったのだが、無事4年で卒業できそうだ。
明日は卒業式だったが、あいにく先約が入ってるのでパスする。

まだテストが終わったわけではないし安心できるわけではないんだけど、今までの経験則から言えば、単位を落とすことはないから卒業はできるだろう。
小学校・中学校とまともにいかず、高校は4年かけて卒業した自分が、大学はほとんどサボることなく、単位も2教科落としだけで卒業できるってのが、にわかに信じがたいものである。

中学受験も大した学校に入れず、言うならば周りが良い意味でバカすぎたので(楽しくて愉快な子達は多かったし、今はみな優秀な子達ばかり)あの頃の成績は相対的には良かったけど、高校も附属校をすぐに辞め受験しなおし、今では有名になった都立高校で無駄に4年間を過ごしてきた。

正直高卒で働こうと思ったとは、このブログでもきっと何回か話したと思う。
そんな自分がたまたま台湾という進学先に出会い、一時真面目に勉強して多少中国語ができるようになったので(今では酷いものだが)大学を出してみたら、台湾では割と名の知れた大学に受かってしまったんだから、人生というのは不思議なものである。

 

割と有名な大学の、国家のキャリア官僚を養成する学科に何も知らずに飛び込み、周りに怪訝な顔をされながらも助けてもらいつつ、しかし何回挫折しそうになったかわからないが、死ぬほど長かった4年が終ろうとしていて、今卒業できそうになってると思うと、やっぱりわからない。

 

この自分が大学の「学士」という資格を得ようとしていることが不思議だし、まるで笹子トンネルのように長かった(死ぬほど長かった)4年間が、まもなく終ろうとしていることが自分の中で整理がついてないし、とは言え振り返りたくもないという気持ちでもある。


4年間を振り返ると色々なことがあったのは覚えているが、一つ一つを細かく振り返らないし、きっと思い出すこともない。
今日は用事があって大学にいたが、帰りのバスの中で4年間過ごしてきた風景が流れる姿をみて、少しは何か感じるものがあるかなと思ったんだけど、別に何もなかった。

 

台湾という国は嫌いじゃないし、きっと観光でも他の用事でもまた来ると思うし、人生というのは何が起こるかわからないからまた住むかも知れない。

でもきっとこの4年間のことは、記憶の片隅に置かれることもなく消えていくんだろうなと思った。理由はわからない。

少なくとも自分が得て来た知識と経験、そして学歴が残って自分が一歩でも成長したならそれで十分だと考える。

 

最近ずっとやってたことが一つある、大学以外に日本の会社でインターンをやってた。
こっちでもリモートでずっと仕事してた、時には寝る時間を削ってでも必死にやってた。つい先日辞めてしまったんだけど。
ケンカ別れ的な感じで辞めてしまったけど、4年間で自分は成長できたと思ったのに、まるで昔の自分に戻ってしまったような気がしてすごく嫌気がさした。

成長し続けるってすごく大変なことなんだなって思った。
自分の選択が正しいとは思えないけど、でも色んな人に迷惑をかけながら得るものはたくさんあった。いつかもっと成長して恩返しする。

この4年間で起きた、愉快なことも辛いことも悲しいことも、心から尊敬できた人も、心から一緒にいて楽しかった人たちも、全部置いていこうと思う。
さっきも言ったけど、この4年間で過ぎ去ったことが既にぼんやりとした淡いものになってる。

 

日本に帰って失った4年、いやもっとかもしれないけど死ぬ気で頑張ることにする。

 

 

群青日和

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